海紅俳三昧第2会場

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第106回俳三昧 2 - 俳三昧

2021/11/14 (Sun) 07:13:49

老婆の歩幅に焦れる横断歩道   秀斗

Re: 第106回俳三昧 2 - さいとうこう

2021/12/03 (Fri) 10:53:39

特に前半は頭韻も脚韻もきまっていてリズミカルでテンポよく読めますが、実際の景は逆で、焦れた老婆のゆっくりとした歩幅との対比がよりおかしみを誘います。
よく考えられた句だと思いました。
こういった韻を意図的に意識した句は海紅では少ないと思うので、どんどん作って欲しいです!

Re: 第106回俳三昧 2 - はるか

2021/11/28 (Sun) 22:19:08

老婆の歩幅、発見でしたね。
海紅の伝統的な作品にも「歩幅」の名句があったと思います。残念ながらぱっと出て来ないのですが…。
どなたかご記憶の方、教えていただけないでしょうか?
この句は老婆の姿と、それを見ている側の姿が同時に見えてくるところが良いと思いました。

Re: 第106回俳三昧 2 - 秀斗

2021/11/28 (Sun) 17:17:05

近所のタバコ屋の前にある横断歩道、毎日タバコを買いにお婆ちゃんが歩いてらっしゃいます。マイペースな歩幅に横断歩道が冷や冷やしているように見えて、そんな感情から出来た句です。ご意見ありがとうございました。

Re: 第106回俳三昧 2 - 田中耕司

2021/11/21 (Sun) 12:17:19

もう少し早く歩けないかなって心配しながら見てる、よくある光景だよな。止まってくれてる車の中から焦れってえなと思ってるだろうなってことは何べんもあったな。これが信号機のある所だとホント心配だよな。そのような状況を上手くとらえてるなって感じた。でも本当はそれほど長い時間じゃないんだよな。そこを意識させてるような感じで面白かった。

Re: 第106回俳三昧 2 - 吉明

2021/11/20 (Sat) 06:52:14

「ろうばのほはば」が面白いです。老女ではなく老婆にする作者の醒めた視線、それに反して横断歩道に感情を見つけ出す優しい視線、その振れ幅にある心の動きが句を作るエネルギーになっているように思います。

Re: 第106回俳三昧 2 - 秀雪

2021/11/17 (Wed) 22:46:07

えっ、そこ?という視点の面白さは、まだまだ世の中たくさんあります。
例えば一碧桜の、

紫蘇きざむ事を楽しんでいるでもないらしい

春昼わが職長の髪垂れさがりて額

まじめに犬のからだを見てうららかな

など、一碧桜の句が未だ古びることがないのは、視点の面白さによるところも大きいのではないでしょうか?
今回の秀斗さんの句も、視点がいいですね。
焦れるのは、苛立ちからか、または心配を伴う優しさからなのか。どちらに読んでも良いですし、何より、もそもそと歩く老婆の姿がはっきりと見えてくるのが素晴らしいと思います。出来れば、慈しみの心を持って、老婆が横断歩道を無事に渡りきるのを見守ってあげたい、そんなゆとりの心でありたいものですが。


第106回俳三昧 3 - 俳三昧

2021/11/14 (Sun) 07:12:15

シジミチョウが三人ってなんでくんやっかいだ  耕司

Re: 第106回俳三昧 3 - さいとうこう

2021/12/03 (Fri) 10:46:42

耕司さんみたいな大人ばかりだったら、この世の中も平和なのですが、、、。
「やっかいだ」と言いつつ、子どもに対する慈しみを感じます。
三匹じゃなく三人ってのがまた子どもらしくていいですね。そういう感性を見習いたいです。

Re: 第106回俳三昧 3 - はるか

2021/11/28 (Sun) 22:23:16

なんでくん、そしてやっかいだと思いつつなんでくんの相手をしてやっている耕司さんが微笑ましい一句です。「なんでくん」は発明ですね!この一語で説明をすべて省けるんですから。

Re: 第106回俳三昧 3 - 田中耕司

2021/11/28 (Sun) 04:16:50

何人てのは人間だけに使うんだって言ったら。早速なんでが始まって、いけねって思ったんだけどもう止まらないから動物や、植物では数え方が違うんだって言ってもなんでなのかは、俺だって知らないよ。大きくなれば自然と分かるから、今は元気に遊んでなってってしか言えなかった。なんでくんは本当に厄介だって思い知らされてるところ。

Re: 第106回俳三昧 3 - 秀雪

2021/11/24 (Wed) 10:11:58

なんでくんシリーズ。これは何弾でもいけそうですね。
うちの畑や庭にも、シジミチョウがよく飛んでいます。そういえば、幼虫もよく見かけたような。いろんなことに興味を持って、成長してゆくおさなごの姿にマイッテイル作者の姿が思い浮かびます。

Re: 第106回俳三昧 3 - 秀斗

2021/11/21 (Sun) 07:49:41

なんで君、面白いところに作者のスコープがあたっています。そういえば最近シジミチョウを見れていないような。自然と人間を愛する暖かく鋭い視点の一句です。

Re: 第106回俳三昧 3 - 吉明

2021/11/20 (Sat) 06:27:55

「なんで」「なんで」と質問ばかりしてくる「なんで君」は耕司さんにはやっかいで苦手な子供でありながら可愛くてしょうがない小さな友人にも思えます。子どもの目線で、一緒になって本気で遊ぶ姿は良寛の様です。

第106回俳三昧 4 - 俳三昧

2021/11/14 (Sun) 07:09:40

風剥がれ落ちたかけら蜻蛉たちひらめく   はるか

Re: 第106回俳三昧 4 - さいとうこう

2021/12/03 (Fri) 10:44:23

「風剥がれ落ちた」すごい表現ですね。
抒情があり、詩人だと思いました。「ひらめく」とまで言わない方が余韻があるかな、とも思いましたが、作者の視線が優しく好きな句です。

Re: 第106回俳三昧 4 - はるか

2021/11/28 (Sun) 23:11:05

蜻蛉も寒くなってくると弱々しく見えてきます。
飛ぶスピードも落ち、手や足に寄ってきます。あたたかいからなのかな?
まだ高いところを飛んでいる蜻蛉、弱って地面近くにいる蜻蛉。そんな蜻蛉たちの翅が光るのを見ていたら、こんな句になりました。

語順についてはたぶん

剥がれ落ちた風のかけら蜻蛉たちひらめく

の方がわかりやすいのでしょうね。今でも迷いはあります。
上にあるものは上に、という先輩からの教えを思い出したのと、わかりやすい語順だと説明や陳腐につながりそうだなという思いがあって、この語順にしています。

Re: 第106回俳三昧 4 - 田中耕司

2021/11/21 (Sun) 11:44:48

私の暮らしている横浜ではもう蜻蛉たちと云えるような状況は見られなくなってしまっているのでどう読めばいいのか迷っている。ただ秀斗君の言うように風のかけらが蜻蛉だなんて、もう私には読めなくなってしまっている。ただ子供のころに蜻蛉に囲まれて過ごした時のことを思い出して懐かしさに浸っているよ、作者に感謝しているよ。

Re: 第106回俳三昧 4 - 秀斗

2021/11/21 (Sun) 08:01:19

風のかけらが蜻蛉であるとは、世の中とてつもない詩人がいるものです。それこそなにげない日常のかけらが詩になっています。剥がれ落ちた、も美しいですね。蜻蛉の『あの様子』(表現しきれない…)が目に浮かびます。

Re: 第106回俳三昧 4 - 吉明

2021/11/18 (Thu) 16:31:38

今年はあまり出歩かなかったせいか蜻蛉を見た記憶が有りませんが、この句には確かな観察力を感じます。「剥がれ落ちたかけら」「蜻蛉たちひらめく」実際に見ていなければ出てこない詩の言葉です。

Re: 第106回俳三昧 4 - 秀雪

2021/11/18 (Thu) 10:10:21

美しい句です。『蜻蛉』は「せいれい」と読ませていただきました。
剥がれ落ちた風の欠片がトンボである、という視点の面白さに加えて、『ひらめく』の語が持つ様々なイメージが、この句に奥行きを与えているようです。「トンボたちが日の光(あるいは夕陽)にきらめく様」「トンボたちが何かをひらめいた様」「トンボたちが風にひらひらと揺れる様」など。
ただ、語順はどうでしょうか。他にいくつもやり方はありますが、正解はわかりません。当然作者はあらゆる語順を試された上でこうなったのだと思います。

第106回俳三昧 6 - 俳三昧

2021/11/14 (Sun) 07:04:22

いつか死ぬアロエに静かな水をやる   吉明

Re: 第106回俳三昧 6 - さいとうこう

2021/12/03 (Fri) 10:41:55

「いつか死ぬ」のフリが効いていますね。
静かさがより静けさをもって心にこだましました。
アロエの主張しすぎない程度の緑色も静謐な感じをより引き立てていると思いました。

Re: 第106回俳三昧 6 - 吉明

2021/11/29 (Mon) 06:00:34

5年前に亡くなった母が育てていたアロエが、いまだにベランダの隅っこで瀕死の状態で生きています。何の感情も無く水だけはやっていますが、徐々に黄色くなってゆきいつかは枯れてしまうんだろうなと思いつつ、命あるものは全て死ぬんだなあと思いつつ。

Re: 第106回俳三昧 6 - はるか

2021/11/28 (Sun) 22:51:28

「死」に親しみを覚えているように感じます。
年齢と共に「死」は怖いものではなくなり、親しみを覚えるものに変わっていくのかもしれません。
アロエにも、水をやる作者にもある静かさ。
耕司評と同じく「静かな水」が良いと思いました。

Re: 第106回俳三昧 6 - 田中耕司

2021/11/21 (Sun) 11:53:14

まあ作者と同じ世代の私としても”いつか死ぬ”って感覚は誰にでもあるものだろうが、そのような人間がアロエに静かな水をやるってのは良い感覚なのだるなと感心した。普通なら、静かに水をやるだろうから静かな水って発見は大事にしなけりゃいかないんだろうな。

Re: 第106回俳三昧 6 - 秀斗

2021/11/21 (Sun) 07:56:52

アロエって生きてるか死んでるかわからなくありませんか?『こいつもうあかんちゃうんか?』と試しに葉をとってみると、葉肉がとてもみずみずしくて申し訳なくなります。作者が生と死に非常に敏感な視点を持っておられるからこその一句。非常に共感しました。

Re: 第106回俳三昧 6 - 秀雪

2021/11/19 (Fri) 07:41:52

死を意識し、また死を覚悟しきったかのような静謐さを感じさせながら、しかしまた、どこか死への抗いの気分も感じられます。ただそこに、てらいや嫌味が見られないのは、語順がなせるわざなのでしょうか。もしかすると、『静かな』という語とその位置が効いているのかも知れませんね。

第106回俳三昧 5 - 俳三昧

2021/11/14 (Sun) 07:07:31

床屋の金魚の駅前の再開発   こう

Re: 第106回俳三昧 5 - はるか

2021/11/28 (Sun) 22:43:46

これ面白いですねえ!
「駅前の再開発」だけはかっちり決まっているのだけど、そこに床屋の金魚の、と掛かって来ると途端に光景も意味も視点も揺らぎ出す。金魚の尻尾が揺らめくように。
いったいこの光景は人間が見ているものなのか、金魚が見ているのか?「駅前」は人間たちのものか?それとも金魚の所有か?
人間の視点と金魚の視点が重なって、奇妙な浮遊感、酩酊感を覚える。
金魚視点で読むとするなら…

古き良き昭和の香りのする床屋。その窓際に置かれた水槽に金魚が悠然と泳いでいる。金魚が見ているのは目まぐるしく変わってゆく駅前の風景。床屋だけは時代に取り残されている。いや、それもいつまでかわからない…。移りゆく景色を、金魚は悠然と見ている。古い時代から、新しい時代を。変わらないことを選択し続けている。

Re: 第106回俳三昧 5 - 田中耕司

2021/11/21 (Sun) 12:06:19

この床屋は、私が子供のころ通っていた床屋の親父さんと同じ職人で気難しい人じゃなきゃいけないよな。私など子供のころはちょこちょこ動くのでじっとしてろって耳を引っ張られて泣きべそかいて床屋が嫌でしょうがなかったのを思い出した。そんな時代を否定するようにどんどん進む駅前の再開発に作者が感じていることとのギャップをこの一句から感じて、こんな状況はどこにでもあるのだろうが、面白い見方だなと年の差を思い知らされている。

Re: 第106回俳三昧 5 - 秀斗

2021/11/21 (Sun) 07:53:23

吉明さんの仰るように、の、の使い方が卓越しています。特に金魚の駅前の、の部分は詠みのリズムを担保しながら視点をずらすというダブルミーニング。技術が光る一句でした。

Re: 第106回俳三昧 5 - 秀雪

2021/11/19 (Fri) 22:09:04

今やどの地方に行っても、大型ショッピングモールにチェーン店だらけで、個性喪失。床屋だって、1000円カットが流行る時代。床屋も金魚も前時代的なものの象徴のようで、それらと再開発(超近代化!)の「の」による並列化によって、よりその差が際立って寂しくなります。
それでも作者は、1000円カットでは済ませず、じっくり時間をかけて、さっぱり調髪されているのではないですか?そういう時間を大切にしているからこそ、見えてくる景色があるのでしょう。

Re: 第106回俳三昧 5 - 吉明

2021/11/19 (Fri) 06:32:15

言葉の並べ方「の」の使い方に絶妙な趣を感じました。再開発のすすむ街にポツンと取り残されたような床屋の片隅に置かれた金魚鉢の金魚、望遠レンズが徐々に寄ってゆき金魚にピントを合わせるカメラワークが新旧の交代、時代の移り変わりを語らずして語っています。

第106回俳三昧 1 - 俳三昧

2021/11/14 (Sun) 07:16:24

もぐもぐ牛がいるいるいっぱいりりぃすみぃ浅間が暮れる  秀雪

Re: 第106回俳三昧 1 - はるか

2021/11/28 (Sun) 22:12:44

自解の後になってしまって失礼します。
幼いお子さんを連れてのことかな…と想像しました。わらべ唄みたいな詩情がありますね。
りりぃすみぃがわからなくて…
りりぃはLilyかなと思ったけど、すみぃ?スミレじゃないの?
それで、今気づきました。
Release me かな?って。
そうだとしたら、Release me は牛にも自分にもかかって来るのでしょう。
わらべ唄と言ったけれども、牧歌的という言葉もありましたね。どちらにしても、とても美しい夕暮れの光景に癒されました。

Re: 第106回俳三昧 1 - 秀雪

2021/11/28 (Sun) 20:04:13

吉明さんのおっしゃる通り、『浅間が暮れる』は、多少、否、おおいに迎合してしまいました。当初はやはり牛以外全てひらがなでしたので。もちろん『ぷりぃずりりいすみぃ』も最高ですが、ここは、

もぐもぐ牛がいるいるいっぱいりりいすみぃあさまがくれる

とします。
理屈ではありません。牛舎に牛がいて、ふと振り返れば、浅間に夕陽があたっていた、という状況を、秀斗さんご指摘のように、感覚的にとらえてみたらこうなっただけの話。別に奇をてったわけではありません。確かにありきたりな言葉を避けたいという気持ちはどこかにありますが、誰もが思う気持ちを今更句にする必要があるのか、という所が私の出発点ですので、今後とも見苦しい点はあるかも知れませんがよろしくお願いいたします。

Re: 第106回俳三昧 1 - 田中耕司

2021/11/21 (Sun) 11:31:51

りりぃすみぃこの言葉をどう読めばよいのかって考えてしまって全体への読みが出来なくなってしまっている。浅間にたくさん牛が見られるのは私も大学時代に見た覚えがあるのだが、出荷できないレタスがあっという間に食べつくされてしまう光景にはびっくりしたのを思い出した。それがあるから余計にこの言葉に引っ掛かりを感じてしまうのかと思っている。作者には申し訳なく感じているのだがこの作品に対して何かを述べる資格が私にはないようだ。それと、この言葉に長いという感じが抜けないので困っている。

Re: 第106回俳三昧 1 - 秀斗

2021/11/21 (Sun) 08:02:20

りりぃすみぃ、このような言葉のつなぎ方は秀雪さんにしかできないでしょう。秀幸さんは体全体をアンテナにして、あらゆる感覚で対象を受け止め、作句してらっしゃるようにお見受けします。感覚の極限、そんな言葉が脳裏に過る一句でした。

Re: 第106回俳三昧 1 - 吉明

2021/11/18 (Thu) 16:21:36

我々が作る古臭い自由律俳句に新風が吹き込んできたような楽しさを味わいました。秀雪さんの独特のメロディーを付けて唄ってみせて下さい。「浅間が暮れる」が漢字を使っているので妙に情景描写の生真面目な纏まりを感じます。どうせなら最後まで全てひらがなか、「もぐもぐ牛がいるいるいっぱいぷりぃずりりぃすみぃ」なんていうのは如何ですか。

無題 - 秀斗

2021/11/21 (Sun) 07:43:48

りりぃすみぃ、このような言葉のつなぎ方は秀雪さんにしかできないでしょう。秀幸さんは体全体をアンテナにして、あらゆる感覚で対象を受け止め、作句してらっしゃるようにお見受けします。感覚の極限、そんな言葉が脳裏に過る一句でした。

第106回俳三昧のお知らせ - 俳三昧

2021/11/05 (Fri) 13:30:27

秋らしい爽やかな天気が続いております。
11月俳三昧のお知らせをいたします。

投句締切:11月10日(水)
投句宛先:メールでご連絡のアドレス

吉明宛てに一句お送り下さい。

その後のスケジュールは以下の通りです。
~21日(日) 句評
21日(月)~月末までに自解・意見交換

皆さまの投句をお待ちしております。

*私からのメールが届いていない方は、お手数ですがお知らせください。

第105回俳三昧 3 - 拝三昧

2021/10/11 (Mon) 12:57:30

十月を許さず芙蓉咲きつづける   聡

Re: 第105回俳三昧 3 - さいとうこう

2021/10/31 (Sun) 23:36:24

句評が遅れ申し訳ありません。
芙蓉は個人的に好きな花です。常にフレッシュで可憐な花弁に魅力を感じます。
本作は作者の実感がそのまま句になった印象です。
芙蓉が我が物顔なのか、外部環境的に咲かざるを得なくなっているのか、、、。
科学的には後者なのでしょうが、芙蓉の丸みを帯びた大ぶりな花びらを眺めると前者のような気もしてきます。

Re: 第105回俳三昧 3 - 聡

2021/10/26 (Tue) 21:00:51

隣家の芙蓉が10月になっても真っ盛りのように咲き続けているのです。26日現在も満開状態です。

反対側の隣家には大きい木槿があり、もう一輪も咲いていません。

それを見て、実感もありますが、直感的に「十月を許さず」のフレーズが出ました。

後付けの説明はいろいろできるかもしれません。助詞「を」を抜いたヴァージョンの場合でも。

100%技術的に説明できる句を詠むことを意識したときもありますが、瑕があっても(独りよがりといわれても)直感だけで詠む句にならざるを得なかったのが、今回の句でした。

Re: Re: 第105回俳三昧 3 - 秀雪

2021/10/26 (Tue) 06:53:30

はるかさんの評のように、「許す」から咲き続ける、というのも面白いですね。許さ
ないから、もう枯れちゃう、と不貞腐れている芙蓉というのも笑えます。

Re: 第105回俳三昧 3 - はるか

2021/10/24 (Sun) 23:52:53

この句に感じる違和感は「咲き続ける」の肯定と「許さず」という否定がイコールで繋がっているところにあるのではと思います。「十月を許す」と肯定にした方がすとんと胸に落ちる句になるのでは。いかがでしょうか。

Re: 第105回俳三昧 3 - 秀斗

2021/10/19 (Tue) 21:11:13

素直に10月という気象をアプローチされたのだとおもいます。そう読むと(を)が擬人化の為に非常によく効いているのではないかと思います。川柳作品でよく見かける技巧と思います。

Re: 第105回俳三昧 3 - 吉明

2021/10/19 (Tue) 05:46:59

「十月を許さず」に惹かれましたが、「芙蓉咲きつづける」との関係に迷いました。十月を許さないのは作者なのか、芙蓉なのかそれによって内容が違ってきます。自分はいつまでも芙蓉が咲き続けている季節の狂いを作者は俳人として許すことが出来ないでいると読みました。

Re: 第105回俳三昧 3 - 秀雪

2021/10/14 (Thu) 20:27:42

なるほど、『十月を』の『を』があるから何か引っ掛かるのかも知れませんね。

Re: 第105回俳三昧 3 - 田中耕司

2021/10/14 (Thu) 11:53:02

私も、今年の芙蓉はいつまでも咲いてるなって感じてた。となると十月を許さずっていう表現は、どう読めばよいのかって疑問がどうにも残ってしまう。秀雪説のように怒りと受け取るのもありだろうし、気象の異常さなのかもしれないし、素直に答えがでて来ないのがすでに自分の年齢のせいにしておけばいいのさと納得させている自分がいて、これはいい手を思いついたと思っているのだが情けないなと思っている。ただ、十月を許さずと、十月許さずでどのくらい違うのかなって思ってる。

Re: 第105回俳三昧 3 - 秀雪

2021/10/12 (Tue) 18:19:27

これは単に気象のことを指すのでしょうか?確かに十月にしては、夏日や真夏日になったりと、暖かすぎますので。それを、芙蓉が十月を許さないからだ、と表現するのは面白いと思いますが、イマイチ釈然としません。
おそらく、意識的にせよ無意識的にせよ、この句の裏には何らかの怒り(のようなもの)が潜んでいるのではないでしょうか?社会に対する怒りか、自分への怒りか。読み手によっては、それを無意識に感じ取って
しまい、何かもやもやしてしまう、もしかするとこれは中々恐ろしい作品なのかも知れません。
私は今、そのもやもやの正体がわからず、不安になっておりますが、ここはやはり単に気象のことである、としておきましょうか。

第105回俳三昧 5 - 拝三昧

2021/10/11 (Mon) 12:51:56

蜻蛉指にとまらせ夕陽と笑う   はるか

Re: 第105回俳三昧 5 - さいとうこう

2021/10/31 (Sun) 23:23:02

自然で素朴で、無駄がなく、美しい句だと思いました。「夕陽と笑う」は幸せそうな景が伝わってきて巧いなぁと。
ドヤ顔とは正反対の、さりげない、でも実は大変整った実力派の一句だと思います。

Re: 第105回俳三昧 5 - はるか

2021/10/29 (Fri) 14:33:42

あまり作為なく、実景をそのまま詠みました。
「と」の押韻も自然に湧いてきた感じです。
あえて何も加えない形がその時の雰囲気を残せるように思いました。
漢字とかなのバランスはたしかにと思いますが、蜻蛉も指もかなにひらくと何となく違う感じがして、このままでいこうと思います。

友人に誘われて出かけた帰り、夕陽の見える丘の公園のベンチで風に吹かれながらしばしおしゃべりを楽しみました。蜻蛉が寄ってきて私の指にとまり、それを友人が夕陽をバックに写真におさめてくれました。穏やかで美しい、とても良い時間でした。

Re: 第105回俳三昧 5 - 聡

2021/10/24 (Sun) 02:13:46

訂正:

✕ 画数が多い感じが
〇 画数が多い漢字が

失礼いたしました。

Re: 第105回俳三昧 5 - 聡

2021/10/24 (Sun) 02:12:32

とんぼ とまらせ と笑う T子音とO母音の揃えが韻文性を増して詩情を滑らかにしている感じです。

はるか氏らしい、いかにも自然な韻律で読めるように練り込まれた句の構成だとおもいます。

「蜻蛉指に」の部分だけ、画数が多い感じが連続するのがちょっと気になりました。

上句も下句どうようの漢字かな混じりのバランスの良さをだせないかな?と。

わがままな要求ですみません。

Re: 第105回俳三昧 5 - 秀斗

2021/10/19 (Tue) 21:18:43

(と)が素晴らしいと思います。韻が心地良いですね。夕陽の擬人化も美しいです。夕陽のあかあかした様子を笑うとした感性が光っているようにおもいます。

Re: 第105回俳三昧 5 - 吉明

2021/10/15 (Fri) 14:04:36

はるかさんにとっては今日の句なのでしょうが、私には子供の頃を思い起こさせる郷愁に溢れた穏やかで淡い色調の句に思いました。遠い昔、こんな情景を見た記憶があります。それは現実ではなくもしかしたら谷内六郎の絵の世界だったのかもしれません。

Re: 第105回俳三昧 5 - 田中耕司

2021/10/14 (Thu) 12:04:42

もうトンボを指に止まらせるなんて横浜ではできないだろうな、ただ夕陽を笑っていると感じられるのはあまりないのではと感じた。夕陽に持っている感じは初めての様に感じている。こんな発見はすごく大切にしておくべきものなのではないかと思っている。全然関係ないのだが子供が好きなパプリカって歌を思い出したよ。

Re: 第105回俳三昧 5 - 秀雪

2021/10/12 (Tue) 14:21:43

『夕陽と』の『と』の捉え方で少し意味が変わるのが面白いです。

作者「ほら、トンボだよ、かわいいね、キミと同じで赤いよ、ふふ」
夕陽「ホントトンボカワイイ、ハハハ」

または、赤とんぼ自体を「夕陽」と名付け、呼び掛け、ひとり微笑んでいる絵。

私は後者が可愛らしくて好きですが。小学生に戻ったはるかさんを勝手に想像しています。
饒舌な(?)はるかさんにしては、とてもスッキリとした作品だと思いました。
そういえば今月号の投句は、饒舌とスッキリがバランスよく並んでいますね。楽しく読ませていただきました。

第105回俳三昧 6 - 拝三昧

2021/10/11 (Mon) 12:50:14

サヨウナラ怒りの出口から返信   吉明

Re: 第105回俳三昧 6 - 吉明

2021/10/26 (Tue) 05:39:31

何年か前、自由律俳句協会のアンケートで「あなたにとって自由律俳句とは」とあり、N女史が「人間関係が難しい」と答えていました。
「さよならだけが人生だ」と遠い昔から多くの人が様々な意味で言っていますが、自分も結局人間はひとりぼっちに過ぎないと思っています。

Re: 第105回俳三昧 6 - はるか

2021/10/25 (Mon) 00:09:22

怒りそのままに「サヨウナラ」をメールで叩きつけたのでしょうか?そうできたらいいよな、っていう願望でしょうか?
怒りの表出は難しいものですね。そのまま叩きつけると大事になったり、言わないでおくとのちのちさらに厄介ごとを招いたり。怒りはエネルギーでもあるので、有効活用できればいいなあと思うし、うまくコントロールできればとも思うんですけど。

Re: 第105回俳三昧 6 - 聡

2021/10/24 (Sun) 01:46:21

最近の吉明さんの俳三昧句のなかで一番好きです。

もう、鑑賞文はいらないってぐらい。
共振して味わいます。

Re: 第105回俳三昧 6 - 秀斗

2021/10/19 (Tue) 21:34:05

怒りの出口、非常に詩的な表現です。これを引っ張り出された時点で作者の勝利だと私は考えます。サヨウナラがカタカナ表記であることはどのような狙いなのでしょうか。返信に引っ掛けてのことなのでしょうか。

Re: 第105回俳三昧 6 - 田中耕司

2021/10/14 (Thu) 11:31:37

怒りの出口から返信って、これは現在の日韓関係の出口の見えない状態を言っているのだろうって思った。日本としては本当にサヨウナラだものな、でもこの作者がこんな風に政治的発言をするのかって疑問も残るな。ってことで私の感想としては作者の真意をつかめない状態のまま先を見通せないでいる。

Re: 第105回俳三昧 6 - 秀雪

2021/10/12 (Tue) 20:31:35

ほぼ五七五で、固い、憤慨の塊を吐き出したかのような句です。吐息の漏れ出るような音の並び、理屈ではない心の叫び、やり場のない心情(怒り)の吐露。しかし、『出口』という語には理性が働いており、そこに救いがあるように思いました。ある種、あきらめのような態度もそこに表れているのかも知れません。
いずれにせよ、魂の叫びをぎりぎりのところで理性が押し留めたことで、きっちり作品化されています。
心の叫びを、心のままに、というのは案外鼻白むもので、良い意味での理性の働きは、その心情の吐露を作品化しえるものだと気づかされはしたものの、それが難しいのです、とも。

第105回俳三昧 1 - 拝三昧

2021/10/11 (Mon) 13:01:38

リード外れた原発の尻尾動く   秀斗

Re: 第105回俳三昧 1 - 聡

2021/10/25 (Mon) 21:33:42

今回、秀斗さんの素敵な句と、鋭い評を拝見して大変うれしく思います。
次回の参加も楽しみにしております。

Re: 第105回俳三昧 1 - 秀斗

2021/10/25 (Mon) 20:31:27

まず、再びこの句会に参席させていただけたことに大変感謝しております。ありがとうございます。

普段、星空を見上げ、風に囲まれて生きさせていただいております。この景色と暮らしができることならずっと続いてほしいと願っております。感覚で組み立ててしまった句なので、奥行きはないかもしれませんが、わたくしなりの自然への感謝のつもりです。
ご感想くだすった皆様方、ありがとうございました。

Re: Re: 第105回俳三昧 1 - 秀雪

2021/10/25 (Mon) 07:31:54

政治的なものは、今回の秀斗さんのように、しっかり作品化されていれば良いと思います。
もちろん芸術活動の根本には、『怒りのエネルギー』があると思いますので、自然、作者の意見は作品に滲み出てくるものですが、政治的な句(に限らず芸術全般)は、概して感情的で一面的になりがちです。それならば、違う活動をしたほうがいいのでは?と思うこともあります。(芸術とは呼べない)意見表明を果たした本人はスッキリするかも知れませんが、読むほうはたまらない!というものも多々ありますので、私の言う『慎重に』は、しっかりと作品化できているかどうか、にかかります。
プロレタリア俳句も、いいものもたくさんありますが、時々感情的だったり、一面的であったりするものも多く、鼻白むことがあります。ただあれは、そう叫ばざるを得なかった時代背景というものも考えなければいけませんが。
吉川金次の句の中にも、

畑のキャベツ花立ち天皇のふとつた顔をかんじてる

戦犯の首を絞めるのだしんかん晴れた初冬の空

驟雨草をうつ新憲法を踏みにじる芦田を憎み

などは、怒りの矛先が一面的過ぎて、私には全く芸術性が感じられません。

夕映のなかにトラックの響きずんと没する冬の陽

何がなんでも借金返えそう家のまんなかにどつかりすわる

空地鉄屑のそばで大工妻子と遠く離れて働き

などは好きです。
最近、プロレタリア俳句とポリティカル俳句について考えていただけに、今回はなかなか刺激的でした。はるかさんも秀斗さんも、ありがとうございました。

Re: 第105回俳三昧 1 - はるか

2021/10/24 (Sun) 23:43:34

「原発の尻尾」という言葉が強力ですね。そもそも原発にリードをつけられると考えたことが人間の傲りではと思います。
政治的立場の表明には慎重であるべし、政治がらみの作品はなるべくなら避けた方が良い…。たしかに政治を語ることにはリスクが伴うのが今の日本という国です。でもそれっておかしくない?と最近思うのです。政治的意見を述べたら不利益を被るっていう雰囲気こそが日本を政治的に貧しくしているのでは。
俳句が政治的主張一辺倒になってしまったり、特定の政党を支持あるいは批判したりするのはどうかと思いますが、自由律俳句はプロレタリア俳句の歴史を持ってもいます。時事俳句だってありますし、詠む必要性を感じたなら、詠めば良いと思います。そういう意味で勇気ある一句だと思います。

Re: 第105回俳三昧 1 - 聡

2021/10/24 (Sun) 02:55:18

この尻尾はゴジラの尻尾以上の破壊力があるでしょう。怖い句です。

一旦はずれたリードはもはや二度と付けることが出来なそうです。

わたしたち国民には国の借金というリードもあります。1本のリードが連想を誘発し、5本にも10本にも増えてゆきそうです。

鶴彬(つる あきら)の自由律川柳句群を思い起こしました。

Re: 第105回俳三昧 1 - 吉明

2021/10/19 (Tue) 06:20:01

原発をまるで不気味で不可解な生き物のように表していることに驚きました。原発なんてものは無い方が良いことは百も承知でありながら、原発を全て失くしてしまう覚悟の無い我々をあざ笑っているような、自分の手で作っておきながら自分の手に負えない生き物になってしまった原発が蠢いているようです。

Re: 第105回俳三昧 1 - 田中耕司

2021/10/14 (Thu) 12:15:40

この作品からも、吉明作品と同じように日韓の問題を思った。福島の処理水の放出に難癖をつけまくっている韓国の原発が何千倍もの汚染水を放出していながら、日本の完璧に処理された処理水に文句をつけるのは何故なのかと理解を超えている。私は、作者には何の責任はないと思っているが、あまり政治がらみの作品はなるべくなら避けた方がいいなと思っている。この作品が政治的発言ではないことを本当に願っている。

Re: 第105回俳三昧 1 - 秀雪

2021/10/12 (Tue) 10:04:49

政治的立場の表明には慎重であるべし、それが私の信条ですが、この句で『リードが外れた』のは決して忠犬ではなく狂犬でしょう。否、それどころか生活圏内に原発がある方々にとっては、悪魔的な何かであるのかも知れません。
『尻尾』が揺れるのではなく『動く』としているのがまた不気味です。
様々な思惑が絡み合いながら、静かに破滅へと世界が動いてゆくようです。
人類の肥大した目先の欲望は、動植物だけでなく地球自身、つまりは自分自身をも傷つけているのです。それに気づいている人はたくさんいながらも、転がりだしたイシはもはや誰にも止められなくなってしまいました。近い将来、我々は地球の自浄作用により淘汰される日がやって来るのではないか、何とも不安な時代を生きているのだと、考えさせられる作品です。

第105回俳三昧 2 - 拝三昧

2021/10/11 (Mon) 12:59:21

お彼岸お中日朝焼けの赤い空を見た   耕司

Re: 第105回俳三昧 2 - 田中耕司

2021/10/25 (Mon) 14:12:00

八月号の私の作品の”坊主すたすた花屋は値上げお盆梅雨明け雲の峰”の様に何も考えなくても七七七五ってなっていてこんな調子のよい一句を作りたいと思っていた。そこでお彼岸をテーマに作ろうと思ったら、こんな風になってしまった、まぐれで上手くいったやつの二番なんてできるわけないって思い知らされているよ。

Re: 第105回俳三昧 2 - はるか

2021/10/24 (Sun) 23:48:37

皆さんの評に賛成。
押韻が活きた句と思います。

Re: 第105回俳三昧 2 - 聡

2021/10/24 (Sun) 02:47:30

吉明さんに先回りされてしまいましたが、確かに本来は、空と見たは付きすぎかと。

しかし、吉明説ではこの「見た」は単に空を受けた結語ではないとされています。

自分もその方向での読みに賛成です。
見た→ 視た、診た の予知や卦(占い)的意味合いで置き換えて読むと、俄然「赤」が効いてくるなと。

そこで、「見」たをいろいろに読めるように、「みた」とひらかなに開くのもありかなと思いました。



Re: 第105回俳三昧 2 - 秀斗

2021/10/19 (Tue) 21:07:42

秀雪さんもご指摘の通り、押韻がとても効いているように思えます。また、朝焼けを赤い空が彼岸花の真紅を連想させ、さまざまなファクターが連動しています。
生命の瑞々しさに対する眼が光る作品と拝読しました。

Re: 第105回俳三昧 2 - 吉明

2021/10/19 (Tue) 06:33:00

確かに今年のお彼岸の頃の朝焼けは例年になく異様に赤くて不気味に思いました。「見た」が有ることで単なる描写ではないことを暗示しています。作者はそれ以上深く踏み込んでいませんが、無意識の内に天変地異や浄土の姿を感じていたのではないかと思います。

Re: 第105回俳三昧 2 - 秀雪

2021/10/12 (Tue) 12:01:26

見たまんま小気味の良い句です。前半の『お』の重ねと、後半の『あ』(母音含む)の連発が何とも心地いいです。これもまた、何でもないようで計算された言葉選びなのだと思います。
句の中に言葉としては出てきませんが、赤く燃える彼岸花の姿もしっかり描かれているようです。

第105回俳三昧 4 - 拝三昧

2021/10/11 (Mon) 12:55:03

なんでもにかいうつわくちんちくわつういかにもでんな 秀雪

Re: 第105回俳三昧 4 - 秀雪

2021/10/25 (Mon) 07:44:16

言ってみれば、今回の私の句は、読みようによっては、ポリティカル俳句にもなり得ます。が、はるかさんが読んでくださったように、関西人の『竹輪通』がワクチン打ってる場面でも良いですし、『チク、わ、痛(つ)う』でも良し。語尾には『モデン(ル)ナ』が隠れていたりもします。
あまり説明はしたくありませんが、この回文が、五年後、十年後に意味を持ってくる可能性がある、とだけ言っておきます。そういう意味で、これはポリティカル俳句とも言えるのです。

Re: 第105回俳三昧 4 - はるか

2021/10/25 (Mon) 00:00:31

「何でも二回打つワクチン」ひっくり返して回文に。
そうしてあらわれた関西弁の「竹輪通」が面白い。いろいろ深刻になりがちなワクチンの話題がくすっと笑えるものになっていて良いなと思いました。

Re: 第105回俳三昧 4 - 聡

2021/10/24 (Sun) 02:05:27

回文だと気付かず読んでいました。吉明さんの指摘でやっとわかりました。

前半は時事句、折り返し後半は音そのものを楽しむ感じで楽しかったです。

回文はやったことないのでよくわからないですが、折り返して読まれても意味が通るものが従来評価される世界かと勝手に思っています。

その点で、いっそのこと、前半部分も意味から離れて音だけを楽しむ回文があったら面白いかも?と思いました。

手前みそですが、最近ネット川柳句会に参加しました。お題が、

動画 David Bowie,“Ziggy Stardust”(from Ziggy Stardust and the Spiders from Mars: the Motion Picture)

ライヴ映像のYouTubeのURLそのものがお題になっていました。

自分の投句が

クンパ・トロプ・イウボ・トッヴィデ・クッロ・トーア

でした。

おいらの句は回文ではないのと意味性から一歩も離れていない点が違うのですが、作句のベクトルが秀雪さんの句に近いかも?とおもい引用しました。

この句は100句以上の投稿句から選者の抜いた10句中に一応入れてもらえましたが、苦し紛れの一句でした。

秀雪さんの毎回アッと驚かされる、更なるチャレンジを楽しみにしていますw




Re: Re: 第105回俳三昧 4 - 秀斗

2021/10/19 (Tue) 21:29:55

すいません。途中で切れました。
しかしながら、この苦を耳からサウンドとして聴くと、非常に奥行きを感じることができます。時事吸収も面白いです。俳句は音楽、今をときめく北大路翼氏の著書にもありましたが、作者の高い感性を感じることができる面白い作品と思います。

Re: 第105回俳三昧 4 - 秀斗

2021/10/19 (Tue) 21:25:47

読む価値無し、というご自解をいただきましたが、それには反意を述べさせていただきます。さて、作者の強いトライを感じる本句ですが、やはり回文とポエジーの両立は並大抵のものではないのでしょう。回文はどうしても言葉遊び的な側面が強いためと考えます。

Re: 第105回俳三昧 4 - 吉明

2021/10/15 (Fri) 05:46:30

全てひらがななのでこの句が回文であることが一目でわかりました。漢字を入れると「何でも二回打つワクチン竹輪つう如何にもでんな」でしょうか。漢字を入れると意味が強くなり堅苦しくなります。回文は意味からの解放であり、読み心地を楽しみつつ諧謔を弄するものだと思います。基本は「セクハラは癖」「旦那が何だ」と思っています。この句はどちらかと言えば具象画でも抽象画でもなく、のびやかなストロークによるドローイングに思いました。

Re: Re: 第105回俳三昧 4 - 秀雪

2021/10/14 (Thu) 20:35:29

申告敬遠、試合放棄、怠慢あるいは、読む価値なしと読めます。ひとつだけ言わせていただければ、私は音(読み)には相当気を使っています。音が言葉の意味自体を変えてゆける、というのは、歌を歌いながら感じてきたことですので。
よろしくお願いいたします。


Re: 第105回俳三昧 4 - 田中耕司

2021/10/14 (Thu) 11:22:33

全部仮名での作りで少し読みずらいと感じている。参考にならないかもしれないが、私がまだ十代のころ、ある先輩から「お前は、一句を作って声に出して読んでいないだろう、だから読んでくれる人に読みやすく出来ているかと考える必要もある。」こんな風に教えられた。今の時期でワクチンを出してくれば誘われるけれど読みずらいってのが先に来てしまって一句に集中できないって思いが強くてこの作品をどう評価すべきなのかって迷いが抜けなくて困っている。したがってこの一句への句評は勘弁してもらう。

第105回俳三昧 7 - 俳三昧

2021/10/15 (Fri) 05:09:53

本音がずれる秋雨というには強く   こう

Re: 第105回俳三昧 7 - はるか

2021/10/25 (Mon) 00:24:26

本音はこれだと言い切れるほど、人は自分の考えていることそのままを言語化して伝えることはできていないのではないだろうか。そんな違和感が「本音がずれる」の正体ではないかと思いました。
同じような違和感、「秋雨」という定義におさまりきれない雨の強さを目の前の事象として取り合わせていると思います。雨の強さから考えるなら「本音」として多少大げさに言ってしまったことを悔いているのかもしれません。そのように読みました。

Re: 第105回俳三昧 7 - 聡

2021/10/24 (Sun) 02:32:48

みなさんの評が鋭く、なるほどーと読ませていただきました。

秋雨というには強く→自然現象の音
本音がずれる→本音の「音ね」は心中の歪み軋みの音。

少し強すぎるなぁと、秋雨の雨音に違和感を認識した瞬間から、作者の心の世界が展開されてゆく構成と読みました。

なので、自分の読み始めの順は、

秋雨というには強く本音がずれる

となります。

句意の味わいの順はこうなんですが、秋雨の音の強さX本音のずれ という実景と心象の二物衝撃をよりはっきりと読者へ投げかけるためにはどうでしょう?

詩情の発見の時系列を倒置して、自由律の文脈ならではの「切れ」を打ち出したほうがより、読みの余白やリズムの余白、対比のインパクトが増すということを作者は計算したのだと思います。

そして、すらっと肩の力が抜けたように技巧を感じさせず読める所、巧いとおもいます。



Re: 第105回俳三昧 7 - 秀斗

2021/10/19 (Tue) 21:15:13

度々秀雪さまのご議論に寄りかかり、恐縮でございますが、まこと私も音楽性を感じました。本音ずれる、というシチュエーションも広いですね。淡い恋愛情景とも、シリアスな家族情景とも取れます。

Re: 第105回俳三昧 7 - 田中耕司

2021/10/16 (Sat) 10:00:58

私の信条として、全部の作品に対して同じテンションで評をするって決めているのでまさか、こう君の作品が今回は出さないのかなと思っていてら遅れて出ているのに気づいたので慌てて感想を述べておきます。秋雨ってどんな雨なんだって考えてしままあたいふうのった。明らかに春雨とは違って私にはイメージがないなって感じている。秋で雨って言うとどうしても台風を思ってしまうし、強くといっているので台風に近いのではと思うことにしてみた。そうすると、本音がずれるというところをどう考えばよいのかって疑問が出てきてまた迷ってしまい、本当に年代の差を感じさせられて作者の本当の想いを感じ取れない気持ちにさせられて情けなくて作者に申し訳なく思っている。

Re: 第105回俳三昧 7 - 吉明

2021/10/16 (Sat) 06:22:36

「というには強く」に余韻、余情を感じます。人間の曖昧で不確かで割り切る事の出来ない混沌。表面的なわかり易さではない真のリアリズムです。

Re: Re: 第105回俳三昧 7 - 秀雪

2021/10/15 (Fri) 15:57:04

後半の『というには強く』がやや説明的ではあるようで、思いきって取っ払ったら、より音楽的になって、今ビックリしていたところです。

本音がずれる秋雨

かっこよすぎますが、それは好みということで。

Re: 第105回俳三昧 7 - 秀雪

2021/10/15 (Fri) 14:49:13

ずれる、この一言を見つけてしまったのは鋭すぎるとともに、またひとつ、こうさんが大きくなってゆくように感じます。
本音も秋雨も、日本も世界も、地球も宇宙も、次元すらも、ふるふる震えて『ずれ』てゆく現代を詠うには、言葉もずれてゆかざるを得ません。そういうものだと、とっくに気づいていながらも、これほどぴたりと当てはまる(ずれているのに!)言葉は、まだ見つけられずにいます。
私はこの作品に『音楽』を感じ、嫉妬しています。

第105回俳三昧のお知らせ - 拝三昧

2021/10/03 (Sun) 07:20:56

ようやく秋らしい青空が戻ってまいりました。
10月俳三昧のお知らせをいたします。

投句締切:10月10日
投句宛先:メールでご連絡のアドレス
     吉明宛てに一句お送り下さい。

その後のスケジュールは以下の通りです。
~24日 句評
25日~月末までに自解・意見交換・纏め

*まだメールが届いていない方は、恐れ入りますがお知らせください。

俳三昧は海紅同人によるネット句会です。
同人でない方の投句・書き込みは削除いたしますのでご了承ください。

第105回俳三昧 1 - 俳三昧

2021/09/13 (Mon) 14:03:51

無関心は悪なのかいくらでもニラは白い花咲かす 秀雪

Re: 第105回俳三昧 1 - 秀雪

2021/10/01 (Fri) 09:59:52

関心を持てるもの、どうしても持てないもの、人それぞれに得手不得手はあると思います。関心を持ってしまったばかりに人生がガラリと変わってしまうこともあるかも知れません。押し付けがましい「無関心は悪だ」という言葉は、時に暴力のように感じてしまいます。でも、やはり世界情勢や政治には関心を持たなければいけない、とされていて、日々溢れ返る情報に(何が真実なのか、全くわからない!)うんざりしている自分がいます。
そんなとき、周りを見渡せば(田舎ですから)、ニラが至るところで花を咲かせまくっていました。斬っても斬っても、再び三たび白い花を咲かせるのです、関心、無関心をよそに。ああ、そんな生き方を誰が否定できるものか。下手な知恵が、本来の姿を萎縮させてしまうこともありましょう。吉明さんのおっしゃるように、自由律の定型化は確かに見られます(井泉水も確か言及していたような)。それをぶち破ろう、というのではなく、それに囚われずに自分の表現ができたなら、という思いで私は自由律俳句をやっているのだ、とニラたちに気づかされたのです。

Re: 第105回俳三昧 1 - さいとうこう

2021/09/30 (Thu) 23:38:16

おもしろい句だと思いました。
「ニラは白い花咲かす」、私にとって「ニラ」は食材としての、あの「ニラ」であって、恥ずかしながらその花までに関心を寄せたことはありませんでした^^;
「無関心は悪なのか」と悪とは言い切っていないところに救いを感じます。
無関心だけをもって「悪」と断じるのは確かにいささか疑問です。でも「いくらでも」白く美しい花を咲かせているニラがすぐそこにある。この厳然たる事実に作者は立ち尽くすばかりなのだと、そこに共感した次第です。

Re: 第105回俳三昧 1 - 聡

2021/09/24 (Fri) 00:23:27

耕司説、吉明節、はるか説、いずれも一理ありますね。

そのなかでとくに気になったのは、耕司さんの「悪に対して白い花って対比がきいてこないように感じ」の部分です。

無関心は悪なのか➡心の世界の描写
いくらでもニラは白い花咲かす➡実景の描写

この取り合わせによる二物衝撃効果を狙った構造になっているのだが、どうも対比が明確になっていない。というのが耕司さんの感じていること櫓みたいですね。

作者の中で、実景をみて、無関心は悪と浮かんだのか、無関心は悪と考えて歩いていたらニラの花が目に飛び込んできたのか?気になりました。
最初にニラの実景があってそれに見合う心象風景を探していたというのであれば、もう少し別の取り合わせを考えてみるのもよいかもしれません。

これは、根本から句のことばを変えることになるので恐れ多い感想になってしまうのですが、句の構造上、推敲を進めると自然にそうならざるを得ない場合も出てくると思います。

物の本によれば、この推敲のプロセスが芭蕉の句で研究されています。

芭蕉が、山形県の立石寺で詠んだ蝉の句があります。

原句は
「山寺や石にしみつく蝉の声」

これはすべて実景の写生の発句です。

そして「さびしさの岩にしみこむ蝉の声」
さらに「さびしさや岩にしみこむ蝉の声」

ここで中七下五は実景、上五は心に開けた世界に置き換えました。

秀雪さんの句は芭蕉の第二段階の句にあたるかと。
ここから、さらに、

閑さや岩にしみ入る蝉の声

と、上五の心の世界を完全に入れ替えて完成させたということです。

これを自由律での取り合わせの手法に当てはめていくとき、「無関心は悪なのか」という措辞が、本当にニラの実景と衝撃効果を伴っているか?に行きつくわけですね。

自分にもこの句の読みを考えることでとても学びになりましたし、視点が面白いし実感も伝わるので、もっとしつこく追いかけたらよいのでは?と感じました。

長くなり、すみません。

Re: 第105回俳三昧 1 - はるか

2021/09/23 (Thu) 23:53:21

自由律俳句って「俳句である」と思って作っている人と、「詩である」と思って作っている人がいるように思います。私もですけど、秀雪さんも「詩である」派だろうと見ています。そして「定型俳句」よりはずっと「歌詞」に近いと感じています。秀雪さんは音楽もされているので、私よりも「歌詞に近い」感覚が強いのではないかとも思っています。

ふっと湧いてきた想いを歌にする、あるいは句の形にする。そこにあまり区別はなくて。だからこそ句にする「想い」が強い時、シンプルにわかりやすく伝えるのはなかなか難しいことですね。

海紅っぽくするなら吉明評「無関心ニラは白い花咲かす」でしょうし、耕司評のように「いくらでも」を削るというやり方もあるでしょう。

私もちょっと長いかなとは思います。「は」が二つ入っているのも気になるし、花は咲くに決まっているので「ニラの白い花」で充分とも思います。

歌詞的に作る場合、やっぱり少し時間を置いて、余計な部分を削っていく作業は必要になるのかなあと思います。そこは慣れって言うか、長くやっていくうちに鍛えていくもののように思います。ただ、時々長い句ができちゃう時ってありますよね。そういう時は短歌より短いし、いいか!と思うことにしています。

Re: 第105回俳三昧 1 - 吉明

2021/09/21 (Tue) 16:59:51

確かに「無関心は悪」だし「ニラは白い花さかす」は明確な事実です。もっと突き詰めれば「無関心ニラは白い花咲かす」となります。しかし作者は「なのか」「いくらでも」を使い句にグラデーションを付け散文化させています。それは勢いなのか、それとも作者の狙いなのか、自由律の定型化、自由律の概念を嫌った一つの挑戦とも思えます。

Re: 第105回俳三昧 1 - 田中耕司

2021/09/21 (Tue) 11:04:49

このような感じのつくりでは、「いくらでも」って言い方が何だかうまくはまっていないように感じて、変に長いなって思ってしまった。悪に対して白い花って対比がきいてこないように感じてダメ押しのように感じてしまった。このような場合、あまり細かい説明ポイ言葉は使わない方が良いのだが、細かく言いたくなってしまうのかな。もう少しシンプルって目指してもよかったと思ったよ。

第105回俳三昧 4 - 俳三昧

2021/09/13 (Mon) 13:57:11

這いつくばって探す靴ずれの言葉   吉明

Re: 第105回俳三昧 4 - 吉明

2021/10/01 (Fri) 05:27:43

句作の苦しみは誰もが抱えている事ですが、それを敢えて直接に句にしているようでは、まだまだ人間が出来ていないなと思いました。

Re: 第105回俳三昧 4 - さいとうこう

2021/09/30 (Thu) 23:28:23

靴ずれって合わない靴や新しい靴で起こりますよね。現状に安住することなく、たとえ不慣れな靴のようであっても、新しい言葉を探求する作者の孤高の精神を感じます。
それは這いつくばって探すほど辛い作業ですが、俳人は自ずからそちらの道に進んでしまうものだと確信しています。

Re: 第105回俳三昧 4 - 秀雪

2021/09/24 (Fri) 21:14:12

作者の苦悩が見え隠れする、壮絶な句に感じました。他人の目も気にせず、必死にその言葉を探している、大袈裟に言えば命をかけて。慣れない靴を履いてまで、見に行かざるを得ない風景(たとえそれが幻想でも)があるのだ、と。見栄も時には生きる糧になります。私なんぞ、まだまだ靴擦れの言葉を探すよりも前進あるのみの若造です。痛みよりも好奇心のほうが勝っており、ある意味怖いものはまだないのかも知れません。這いつくばってまで探さなければならない言葉があることは、辛くもあり、また喜びでもあるのだと思います。

Re: 第105回俳三昧 4 - 聡

2021/09/24 (Fri) 00:35:15

這いつくばって探す。本当にそうですね。

かなしい、さびしい、つらい、うれしい、このような普遍的な気持ちに関わることばは、詩歌が生まれてからずっと使われすぎてぼろぼろに傷んでいるといえまるでしょう。「靴ずれの言葉」の象徴表現の発見は凄いと思いました。

靴擦れのことば。そこにどう、軟膏を塗るか、ばんそうこうを貼るか。
ここで俳人としてのセンスが問われるわけですもんね。これをずっと続けなきゃいけないのですからねぇ。深く共感できる句です。

Re: 第105回俳三昧 4 - はるか

2021/09/24 (Fri) 00:21:44

這いつくばって探す言葉…表現者である限りみんなそうなのかもしれません。

「靴ずれの言葉」には吉明さんの自嘲を感じました。
もう靴ずれするほど探してるんだよ。あるいは擦り切れてるんだよ、とか。
靴ずれにはちゃんと手当てをして、そうして履き慣らした靴でまた吉明さんらしい句を見せてください。吉明さんも「詩である」派の仲間と思っています。

Re: 第105回俳三昧 4 - 田中耕司

2021/09/21 (Tue) 10:42:22

靴ずれの言葉ってどんな感じなんだろーって思ってしまうんだけど、あまり靴を履かないんでよくわかんねえって思ってるよ。まあ靴だから這いつくばるんだろうけど、でも探すのは言葉だからな、それも靴ずれのだからな。このような作品の場合、
季が欲しいって思っちゃうんで我ながら古いなって思わされているよ。

第105回俳三昧 3 - 俳三昧

2021/09/13 (Mon) 14:00:05

なかはやわらかい南瓜なあなただ   聡

Re: 第105回俳三昧 3 - 聡

2021/09/30 (Thu) 11:31:30

詠んだ通りの内容の句です。
皆様の感想とアドバイス、ありがとうございました。

耕司さんの「やわらかな」のコメント。
特に心にとめたいとおもいます。

Re: 第105回俳三昧 3 - はるか

2021/09/27 (Mon) 20:05:55

こう君の「だ」によって硬さが出る説について。
私は逆で、「だ」によってやわらかさが出ると感じています。
「南瓜なあなた」で止めると観察に基づく言及という感じがしてしまうのに対し、「南瓜なあなただ」は詠み手の「あなた」に対する愛おしさや笑みを含んでいると思うのです。
こういうのは個人の感覚の違いかもしれませんが、全く逆に取っているのが面白く感じられました。

Re: 第105回俳三昧 3 - さいとうこう

2021/09/27 (Mon) 18:09:53

「南瓜なあなた」、洒脱な表現で一読して気に入りました。
「なかはやわらかい」も平仮名で書くことによって、日本語に宿る穏やかで柔和な印象が強調されて、まさに「やわらか」さを感じます。
個人的な好みからいうと「だ」は取ってもいいかなと思いました。「だ」と断定することによって少し固さが出てしまう気がして。
いずれにせよ、素敵な作品だと思いました。

Re: 第105回俳三昧 3 - 秀雪

2021/09/25 (Sat) 10:21:14

甘辛く(少し濃いめ)に煮たカボチャが好きです。ここでの南瓜なあなたは、まさにそんな感じでは?ごつごつとした南瓜そのものでは少し失礼な感じがして(笑)もちろん女性への呼び掛けでしょうから。
いずれにせよ、「南瓜なあなた」にはやられました。ありそうでなかった表現ではないでしょうか?

Re: 第105回俳三昧 3 - はるか

2021/09/24 (Fri) 00:11:28

これはとてもいいですね!
「南瓜なあなただ」は今までになかった表現だと思います。

これ、「やわらかい」としか言ってませんが、「南瓜」ですから、相当硬いはず。意地を張って頑なな女性が想像されます。
石か?と思うようなダメです一点張りの人に出会って、中身はやわらかいに違いない、それを隠すための硬い外皮なのだろう、と言っているように思いました。

Re: 第105回俳三昧 3 - 吉明

2021/09/21 (Tue) 16:40:48

天ぷら屋の職人さんが南瓜は中身の硬さ、柔らかさが外見で判断できず揚げてみるまで分からないので一番難しいと言っていました。人間も外見では判断できない意外性が有るので厄介です。それを南瓜に例えているのがピッタリ嵌っていて面白いです。

Re: 第105回俳三昧 3 - 田中耕司

2021/09/21 (Tue) 10:52:49

この呼びかけだと相手は女性だと思うよな。九州では日向南瓜の良か嫁女って言うらしいからな。でも普通は女性に対して南瓜ってのはこちらじゃあまりお勧めできないって思うな。でも結句の[あなただ]決め方はそれを打ち消しているようにも思えるな。私の好みとしては「やわらかい」よりはやわらかなとした方が好きだな。

第105回俳三昧 6 - 俳三昧

2021/09/16 (Thu) 05:53:39

コスモス群れたがるやわらかな強情   はるか

Re: 第105回俳三昧 6 - はるか

2021/09/29 (Wed) 23:19:10

皆さんの評、大変嬉しく読ませていただきました。
自解はない方が良さそうです。
ありがとうございました。

Re: 第105回俳三昧 6 - 聡

2021/09/27 (Mon) 23:35:06

コスモスで「群れたがる」は比較的見かける気がしますが、「やわらかな強情」の表現に至っては類想を完全に抜けていて大ヒットと思います。

一見繊細に見えるコスモスの茎や葉ですが、簡単には折れたり倒れたりしないところを巧く言い止めていると思います。そのほかにもいろいろな象徴としてもよめる奥行きがあります。

大事にしたらよい句なのではと思います。


Re: 第105回俳三昧 6 - 秀雪

2021/09/27 (Mon) 21:37:50

「やわらかな強情」がいいですね。人は皆、このやわらかな強情を出したり引っ込めたりしながら、社会生活を送っています。別に群れたがる人ばかりではありませんが、このコスモスのように、楽しそうに、そして美しく、人類が群れていければいいのですが。
実景を、新しい表現で詠みながら、はるかさんの視線の優しさから、世界平和へのヒントにもなるような気がしました。

Re: 第105回俳三昧 6 - さいとうこう

2021/09/27 (Mon) 18:40:52

「やわらかな強情」、詩人ですね。
群生したコスモスの実景を超えた、詩情を感じます。
人は群れたがるものですが、コスモスの凛とした(時に強情な)姿は見る者の心を優しく揺すります。

Re: 第105回俳三昧 6 - 田中耕司

2021/09/21 (Tue) 11:30:28

まず”やわらかな強情”ってコスモスの群生している姿を上手く言ったと思っているよ。コスモスの色とか、立ち姿とかを上手く言っていると思った。なんとなく隣のやつより少しでも高く伸びようとしてるように感じているんでね。そこらへんに強情って言葉が出てきたんだろうな。この一句からただの写生ではなく作者の伝えたい気持ちを感じ取れない自分が情けなくて、申し訳なく思っている。

Re: 第105回俳三昧 6 - 吉明

2021/09/18 (Sat) 17:17:35

「群れたがる」の擬人法を使うことにより群生するコスモスが人間の姿に仮託されています。「やわらかな強情」暑さに耐え、強風に倒されることもなく、いつも涼しげに揺れているコスモスの姿に救われます。人生そのもの真実の句です。


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