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1:俳三昧
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2021/06/15 (Tue) 05:58:14
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遠蛙 闇が濃くなる はるか
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7:さいとうこう
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2021/07/01 (Thu) 12:01:16
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感想が遅くなり申し訳ございません。
子どものころ、夏休みに遊びに行ったおばあちゃんの家での思い出が一気に蘇りました。
夜中、蚊取り線香を小脇に縁側で西瓜を食べました。塀の向こうの真っ暗闇から聞こえる蛙の大合唱。
大人たちは夏の風物詩として心地よく聞いていましたが、私には得体のしれない闇夜の声が空恐ろしく不気味に思っていました。
「闇が濃くなる」という表現をみて、何だか腑に落ちたような気がしました。
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6:はるか
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2021/06/28 (Mon) 22:35:44
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遠田の蛙響くあたたかい闇
という句を2019年に作っていて、内容はほぼ同じなのだけれど、今回「遠蛙」だと思いついたので一句にしてみた。闇ってそこに生き物がいると認識しただけで急に濃密になるような気がするのです。蛙くらいだとそこにいっぱい生きてる命があるんだなあと思うくらいですが、イノシシやカモシカあたりになるとまた濃密さの色合いが変わってきますね。
聡評、夜ではなく闇の不穏さに言及していますが、まあたしかにちょっと「病み」が無意識に出ちゃってるのかもしれません…。
後出しで秀雪さんと題が被っていて申し訳ないと思いつつ、これしか出せるのがありませんでした。秀雪さんごめんなさい。でも、同じ感覚を共有できる仲間がいて嬉しいなとも思っています。
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5:聡
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2021/06/22 (Tue) 19:54:30
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「遠蛙」の聴覚、「闇」の視覚の取り合わせと字あけ。
閑さや岩にしみ入る蝉の声 芭蕉
のような、聴覚に没入することで閑さの侘び寂びをあじわうような、ある種健全な詩情であったなら、この作者の場合は、
遠蛙 「夜」が濃くなる
とでもしたのではと思われる。
わざわざ、「闇」と使ったところに不穏さが漂っている。ムンクの絵を見るような不穏さだ。
遠蛙 とおかわず → とおからず
と、調べが聞こえてきた。今も闇は濃いのだが、近い将来さらに闇がこくなってくる予感に満ちている。
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4:吉明
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2021/06/20 (Sun) 17:22:04
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最近では蛙の声も聞くことが無くなりましたが、むかし何処かへ旅した時に蛙の声の激しさに圧倒されたことがあります。遠蛙ですのでそれ程大きな鳴き声ではないのかも知れませんが、闇の広がりを感じます。そしてその蛙の声がこの世の明かりを全て飲み込んでしまったかのような夜の深さを感じます。
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3:田中耕司
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2021/06/20 (Sun) 08:43:54
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この一句を読んで氏家の海紅句碑を思い出した。筍句会ってのがあって、そこに参加されていた海紅の先輩方の一句を写した句碑で隙間のとこに私の一句も入れくれないかななんて思ったんだけど、それはかなわぬ夢だったのはわかっている。この一句の句評をする前に余計なことを言ってしまったな。このような景色も音も全然経験したことがなくて秀雪説のような環境に巡り合っていないので少し困ってっているってのが本音。
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2:秀雪
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2021/06/19 (Sat) 07:38:16
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田に水が入り、いよいよ蛙も盛んに鳴いています。私のうちには、すぐ近くに田んぼがあるためかなりの大音量です。真夜中にふらりと外へ出てみれば、もう楽しくて笑ってしまいます。
ただどういうわけか、急に鳴き止むことがあります。そしてまた、一匹、二匹、三匹、、、やがてにぎやかな元の大合唱になります。近くの田んぼの蛙たちが鳴き止んでも、遠くの田んぼではまだ鳴いています。これが私の思う「遠蛙」の状態。「遠蛙」のあとの一字あけは、やがて全ての蛙たちの声が止んでゆく様を表しているように感じました。さっきまでの賑やかさが嘘のように沈黙が更けてゆく、まさに「闇が濃くなる」瞬間をとらえたのではないでしょうか。
そしてまたいつしか大合唱、沈黙、を繰り返して、夜は更けてゆくのです。