海紅俳三昧会場

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第90回俳三昧01 - 俳三昧

2020/05/13 (Wed) 00:18:29

慈雨、卵中鎌たたむ幾匹ものかまきりよ   秀雪

Re: 第90回俳三昧01 - 太公望

2020/05/31 (Sun) 17:20:21

響矢ではなく「響也」です。

Re: Re: 第90回俳三昧01 - 秀雪

2020/05/29 (Fri) 12:28:42

耕司さん、ありがとうございます。
『一碧樓物語』の「大須賀乙字と碧梧桐」の中で、確かに「花野來し~」のことが触れられていますね。しかし、本文にもありますが、無中心論は結局のところよくわかりません。
要は、今も昔も、数多の自由律俳人たちは試行錯誤を繰り返しながら、それぞれの道を探っているのだなぁと気づかされました。
とにかく、折角海紅に入ったのですから、先輩方の様々な意見を聞き、考え、ひたすら精進するしかありませんね!
その先に、自ずと道が見えてくるのかも知れません。
重ね重ね、真剣に私の疑問に答えていただき感謝します。今後ともよろしくお願いいたします。


Re: 第90回俳三昧01 - 田中耕司

2020/05/29 (Fri) 06:38:01

少し気になったので私の知っていることを言っときます。まだ碧梧桐が存命の頃、一碧楼の弟の響矢(きょうやと読みます。)の作品で”花野来し”の一句を無中心の作品と言って無中心論というのがありました。私のはあまり興味がなかったのでまるで知りませんが一碧楼物語りとかには、詳しい記事があるのではと思います。もし興味があれば調べて見ると良いのかもしれません、本筋にはなりませんでしたが海紅の歴史の中に、今の若い人たちが興味を持つ、このようなことがあったと知るだけでも意味があるかと思います。

Re: Re: 第90回俳三昧01 - 秀雪

2020/05/28 (Thu) 21:38:27

こうさん、ありがとうございます。山崎まさよしさんの話、面白いですね🎵アングラな世界ではサビのない曲はたまにありますが、あんなメジャーな方がやっていたなんて!
その他、とても参考になりました。どんなにいい句材を見つけても、伝わらなければ失敗ですね。
皆さんをうならせるような作品を作りたい!と前のめりになるのでした。
本当に貴重なご意見ありがとうございました。

Re: 第90回俳三昧01 - こう

2020/05/28 (Thu) 13:28:29

「俳句においては、必ず視点を明確にしなければいけない」についてですが、(俳句の常識は分かりませんが)個人的には全然そんなことはないとないと思います。
「ぼんやりと感覚に訴えかけるような」句を見てみたいですし、僕も作ってみたいです。
10年以上前ですが、歌手の山崎まさよしが「最近の曲はサビに頼りすぎている」といって、サビが全く無い「全部、君だった。」という曲を作りました。ヒットこそしませんでしたが、じんわりとした感動が広がり、今でもたまに聴くほど好きな歌です。
サビ(明確な視点)がなくても、構成次第で感動を呼ぶ句は作れると思います。
ただ、今回の句に関しては、自分は「ぼんやりと感覚に訴えかけるような」感動ではなく「焦点がぼやけている」と感じたのです。
一般的な句論(常識)ではなく、個々の句ごとに是々非々で試みが成功しているかを判断する、というのが自分のスタンスです。
これからもよろしくお願いします!

Re: Re: 第90回俳三昧01 - 秀雪

2020/05/28 (Thu) 07:38:49

吉明さん、貴重なご意見ありがとうございます。
孤独、でもその先に何かが見えるのならばゆくしかありませんが、独りよがりはいけませんね。皆さまと意見交換しながら、海紅を、自由律俳句をもっともっと熱く盛り上げていけるよう、精進したいと思います。

Re: 第90回俳三昧01 - 吉明

2020/05/28 (Thu) 07:00:02

「色々やりたい年頃」その若さを素晴らしくも、羨ましくも思います。昔から言い伝えられている「海紅自由律俳句に於いて、こうでなければいけない、こうしなければいけないというものは何一つ無い」です。昔の人が散々挑戦してきた自分にしか作れない句を作ろうとするエネルギーは大切です。ただそれが伝わるか伝わらないかは別問題です。誰にも理解してもらえず、誰からも評価されなくても構わないという孤独を引き受ける覚悟があるなら思い通りの独自の道を進めばよいと思います。

Re: 第90回俳三昧01 - 秀雪

2020/05/27 (Wed) 22:47:34

見つけた!一碧樓の句で理想的な句!

時雨るゝ魚の中にてもえびは藻につく

こういうのが好きです。

Re: 第90回俳三昧01 - 秀雪

2020/05/27 (Wed) 12:37:24

今回の俳三昧は盛り上がっていますね。楽しいです。
さて、自解とまいりますか。
今回は色々云われるのを覚悟で投稿しました。
まず皆さまご指摘の、句材が多い、ということ。はい、こうさんの評の通りはじめは三句でした。では何故こんなにも詰め込んだのか。今回最も言いたかったことは、由紀さんの評にもありましたが「生命力」です。そのための表現としてまず韻律にこだわりました。前半「じうらんちゅうかまたたむ」と「う」で韻を踏んで流れをつくっておいて、後半「いくひきものかまきりよ」とKの子音で引っ掛かりを与え、力強さを出したつもりです。
ゆきこさんのおっしゃる漢字の多さについては、やはり重厚感を出したくての表記でした。でも自分としては、「たたむ」も「かまきり」も平仮名にしてあるので、バランスはそれほど悪くないのでは?と思っています。
あと、「慈雨」のあとの「、」ですが、この自粛生活で文字通りの晴耕雨読を実践する中で、慈しみの雨というものを強く意識しました。恵みの雨でなく、慈しみの雨を。「慈雨にたつ」という短律も考えたほどです。そしてその慈雨の中見つけたかまきりの卵がとても愛しく、思わず「慈雨、ああ卵の中のかまきりたちはどんな夢をみているのだろう、カマを振ったりしているのだろうか」とワンクッション置いたつもりの「、」でした。まぁ、これだけ?の意見があるということは、失敗なのかな。
それからもうひとつ、皆さまにどうしても聞いておきたいことがあります。
俳句においては、必ず視点を明確にしなければいけないのでしょうか。無中心というより、もっとぼんやりと感覚に訴えかけるような作り方はいけないのでしょうか。こうさんの評に「焦点がぼやけているように感じる」とありましたが、今回の狙いとしては、漠然とした生命への畏れと慈しみの雰囲気が伝わるか、でした。
はるかさん、とても丁寧なアドバイスをありがとうございました。色々やりたい年頃です(笑)どうかこれからもよろしくお願いいたします。
皆さまも真剣な評をありがとうございました。
もっともっと俳三昧を盛り上げていきましょう!
OH!

Re: 第90回俳三昧01 - はるか

2020/05/26 (Tue) 12:37:12

既に指摘されていますが、句の中に盛り込む要素が多いのですね。私も耕司さんにさんざん、おかず多すぎ!って言われたやつだと思いました。言いたいことがたくさんあるのは決して悪いことではありません。それだけ句材を発見できているということなので。

句作の際に、意味のダブる表現を見つけて削ることを心がける、中心になる句材をひとつ決め、残りは別の句に仕立てる、とかを考えていったら良いのではないでしょうか。

この句の場合、中心は卵中のかまきりですね。
ここにきちんとフォーカスされるように作ると良いです。

「卵中」から、何匹もいることはわかるので、「幾匹もの」はダブります。実物を見たことない人も、今はググると画像が出て来る時代なので、そこは読み手をもう少し信用していいと思います。どうしても複数を言いたいなら「かまきりたち」など、別の言い方を工夫しては。

句頭の「慈雨、」という表現は強すぎ、かまきりの印象を弱めてしまいます。句の中で「鎌」が一番鋭く硬い語として置かれるべきではないでしょうか。
使うならもっとやわらかい表現がいいですね。包み込むような雨、ということが伝われば、「慈雨」という語にこだわることはないと思います。

「、」を使う時は、効果があるか、自分の中に使うだけの必然性があるかが求められると思います。その上で試行錯誤してみて欲しいと思います。

いろいろ言いましたが、それだけポテンシャルのある句材だし、挑戦であるということです。期待しています。

Re: 第90回俳三昧01 - こう

2020/05/24 (Sun) 13:23:57

自分には焦点がぼやけているように感じてしまいました。「慈雨」にある生命の喜び、「卵中」にある繊細な生命の危うさ、「鎌たたむ幾匹ものかまきり」にある誕生を待つかまきりの静と来るべき動、どれもあまりに題材が素晴らしく、それぞれに分けて三句できてしまいそうです。どれも4番バッターなので少し渋滞しているように思えました。でも秀雪さんのオンリーワンな視点で作られたこういったスケールの大きい自然賛歌は好きです。

Re: 第90回俳三昧01 - ゆきこ

2020/05/24 (Sun) 12:54:13

少し漢字多く重く感じました。
慈雨、卵中と続く間の句読点の意味は?と感じました。
鎌たたむは面白い視点ですね。
そうゆえば、カマキリの卵も見てません。

Re: 第90回俳三昧01 - 石川聡

2020/05/23 (Sat) 21:31:52

お麩みたいな質感の卵の殻のなかに無数の卵があって、春の雨のころに孵化してくるんでしょうね。

冬の枯れ草に産み付けられた蟷螂の卵が、カラカラに乾燥して凩に吹かれているのを見ると、よくまぁ死なないで生まれたなぁと思いますよね。

自分の場合は「、」を使うのが一番不得意に感じています。「、」にするか一字あけにするか、空けないか、選択肢はあったと思うのですが、「、」を選んだ理由を知りたいです。

Re: 第90回俳三昧01 - 由紀

2020/05/20 (Wed) 13:51:57

雨粒(複数)→カマキリの卵の塊(複数)→そのなかのカマキリの実感、と、焦点の定まっていく過程が印象的です。
「生命」「粒」などにより、慈雨と卵のイメージが繋がり、生命力が景色全体を覆っているようです。

Re: Re: 第90回俳三昧01 - 秀雪

2020/05/18 (Mon) 15:29:40

耕司さんの、檀師が同じテンションで選句をするというお話は、とても面白いですね。
確かに、日によって(テンション!)同じ句でも、捉え方が変わってしまうことはあります。
勉強になりますが、すごい集中力を要しますね。

Re: 第90回俳三昧01 - 吉明

2020/05/16 (Sat) 05:51:48

以前、耕司さんに句作を続けてゆく上で一番大切なのは、言いたいことがどれ程有るかだと教えられたことが有ります。その点で秀雪さんの句はいつも言いたいことに溢れていて、大きな可能性を感じます。ただ一句を取り上げてみると、言いたいことが多くて却って何が言いたいのかが分からなくもなります。中心を定めない句の作り方もあるようですが、秀雪さんから戴いた自作のCDの様なフォルテッシモとピアニッシモのバランスが取れているとより伝わりやすい句になるのではと思いました。

Re: 第90回俳三昧01 - 田中耕司

2020/05/15 (Fri) 13:11:52

今月の参加者が少ないなと思っていたので評をつけるのを待っていたのだがもういいのかなと思い評をつけてゆきます。というのは、未だ元気だったころの檀師は、そのころは毎月千句くらいの句を選をしていた。そして、同じテンションで選ばなければ不公平になると言って一日中選句をしていた。私もそれに倣ってこの句会に臨んでいる。ということでこの作品だが、慈雨って言葉をどう考えるのかによって受け取り方が違ってきそうな感じがする。カマキリだからなってのが第一印象だった、ただまだ生まれていない卵の中のカマキリだからな。いづれにしてもこの作者の暮らしには自然にそっているんだなって思えるよ。おそらくコロナなんて何も気にしなくていいんだろうな。

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