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1:俳三昧
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2019/08/11 (Sun) 18:16:01
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もうセミが死んでるみんなあおむけ 耕司
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9:はるか
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2019/08/27 (Tue) 23:24:49
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自解の後で失礼します。
一読して、脳裏に浮かんだ映像は、
セミが死んでいる…一匹だけ
↓
あおむけで死んでいるセミ
↓
それが累々と一面に、いっぱいに増えて行く…
という感じです。
さらにセミから人間への連想も働きます。
的確な語順だと思いました。
自解の「ようやくセミが鳴きだしたと思ったら」あたりを詠み込むと聡評の「今年一回性」はもっと出せたようにも思いますが、それでは盛り込み過ぎになってしまいますね。
「セミの死」は本当によくある素材なので、難しい。自解にある「ストレイト」。ただの見たままの句のように思えるし、そう作ったのだろうけれども、長年の句作の背骨がこの語順に現れていると思いました。
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8:ゆきこ
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2019/08/27 (Tue) 21:11:25
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その通りですと思いましたが、仰向けでなく死んでいる蝉も見ました。も感情感がもう少し感じられても?
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7:田中耕司
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2019/08/27 (Tue) 11:11:43
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今年の7月は気温が低く、なかなかセミが鳴かなかった。ようやくセミが鳴きだしたと思ったら、道にセミの死んだ奴が転がっていた。そこでもうセミが死んでるって思っただけのことで、こんな風にストレイトに一句を作ってもよいかなと思ってこうした。
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6:直弥
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2019/08/27 (Tue) 09:10:13
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道に転がるセミの死骸が多くなるのに比例して、夏の終わりを感じるものです。
人間にとっても夏は短いものですが、「もう」が入ることで成虫となった蝉の命の短さがよく伝わってきます。
平仮名が多くしたことで、軽さが出しバランスを取った点もいいと思いました。
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5:聡:
2019/08/27 (Tue) 01:34:03
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今年の暑さから蝉がはやく死んでいるのを感じたという事なのでしょう。そういう今年の一回性を詠む意味で「もう」がとても大切な役割を果たしていると思います。
実景からの実感なのでしょうが、何回も読んでいたら「多死時代」と呼ばれ、高齢者がどんどん無くなっていく今の時代の様を象徴化して詠んでいるようにも感じました。
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4:秀斗
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2019/08/25 (Sun) 16:54:33
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「もうセミが死んでいる」というところで、「もう」があることにより、セミの短命さがクローズアップされているように感じます。由紀さまも仰られておりますが、命のはかなさを想った句だと思います。
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3:由紀
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2019/08/23 (Fri) 11:26:23
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叙情に走らない詠みが面白いです。
変な話ですが子供がセミを見たときのような、ストレートな感動が表れていると思います。
「みんなあおむけ」はセミのことなんでしょうけど、眠っている人間のようでもあり、生死のあわいの危うさも浮かびました。
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2:吉明
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2019/08/22 (Thu) 06:14:13
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「もう」があることによりこの句にいろいろな意味や感情を与えているように思えます。それ故に句が柔らかくもなり、甘くもなっているようです。好みでいえば「もう」を削りセミの姿をクローズアップしたいです。